今年の広島を一文字で表すと?


 まずはざっくりとした感想を。


 小野剛体制の崩壊、望月一頼体制での忍耐、そしてミハイロ・ペトロビッチ体制における再生……それらを総括的に考えてみて、今流行りの「一文字」で表すと、こうだと思う。

 
「蘇」

 
 蘇生の「蘇」。思えば、小野剛体制が崩壊した時点でこのチームは死んでいた。第1節〜第8節までは、監督の指示が毎回コロコロ変わるなどして、選手もどの方向に修正すればよいのか分からなかったらしい。で、その結果パワーのベクトルがあっちゃこっちゃに向いて、ネガティブなヤツはネガティブになり、その状態を誰もコントロールできなかった。完全なカオス状態。この責任を監督が取るのは、当然の帰結と思う。


 少し話はズレるが、僕は「チーム」とはコスモス(秩序)であり、良いチームとは「カオス」(混沌)を含みこんだ「カオスモス」だと思っている。そもそもサッカーとはルールにおける最低限の秩序はあるにせよ、その中で誰がどうプレーするかは基本的に自由。その自由を完全に制御しようとするとコスモスになるが、人間は機械ではないため、カオスの要素は排除できない。つまり完璧に秩序だったチームは存在せず、常に「比較的秩序だっている」「比較的混沌としている」という文脈で語られることとなる。


 で、「良いチーム」とは、つまりカオス的な不確定要素をも「比較的」戦術的に制御できるチームのことを指す。現時点で“カオスモス”に最も近いチームは、ロナウジーニョという不確定要素を組み込んだバルセロナだと感じる。逆に、「比較的」コスモスに近い状態でチームを安定させているのはチェルシーだと。


 この話は、つまり望月監督時代のサッカーをどう評価するかに繋がってくる。


 小野監督が辞任した第8節終了時点で、広島は最下位。今季降格したセレッソ大阪アビスパ福岡京都パープルサンガよりも下の順位にいた。「このまま」の状態では、間違いなく降格争いに巻き込まれる。第8節磐田戦で太田吉彰に許したゴールのように、広島は「一見組織だっているのに相手を止められない」失点が多すぎた。選手は自信を喪失し、監督への求心力はボトムまで低下し、サポーターの意欲も1節ごとにこそぎ取られていく。カオス(混沌)、と呼ぶほかなかった。


 望月監督のチーム作りは、この状態を「カオス」と認識するところからスタートした。いわば「蘇生治療」の一環だった。生き返るか、それともこのまま死んでしまうのか、誰にも確証が持てない中で、望月監督は選手に歯を食いしばって「一つの方向」を向くことを要求した。「一つの方向」、それは極端すぎる守備戦術だった。90分を通じてペナルティエリア内に3バックが引き篭もる、まるで「常に後半ロスタイム」のようなサッカーを90分通したものだった。


 当然、このサッカーが面白いわけがない。誰の口からも反論は出た。あの自律心が高い佐藤寿人でさえ、コメントの中で「今のサッカーは面白くなくても……」とポロリと漏らすほどだった。けれども、小野体制の崩壊を「カオス」と捉えた自分としては、不安を抱えながらも望月体制を支持した。「これは、カオスをコスモスに替えていく作業だ」と思ったからだし、「コスモスは必ずカオスに向かう」と確信していたからだ。


 結果的に、それはミハイロ・ペトロビッチ体制になって証明されたように思う。望月監督が「コスモス」を作らなければ、ペトロビッチの仕事はもう少し時間がかかり、その分勝ち点が目減りし、結果的に最終節ぐらいまで降格争いに絡んだ可能性だってあった。チームに最低限の「コスモス」があったからこそ、つまり「解体すべき何か」があったからこそ、ペトロビッチは思い切った若手登用ができた。


 一つの傍証として、第30節アウエー福岡戦における勝利が挙げられる。この勝利は、ミシャいわく「サッカーというより、仕事をした結果」であると。つまりは立て続けに奪った得点を、四の五のいわず徹底的に、恥も外聞もなく守りきった「仕事」であると。それは、福岡が3トップにした後半35分過ぎ、素早くダバツを投入し変則4バックに切り替えたシーンに象徴される。この「ベタ引き」のメンタリティは、小野監督時代にはなかったもの。かといって、ペトロビッチ監督時代に生まれたもの、とも言い難い。


「ベタ引き」で守ることは、常に相手にボールを渡すということ。「主導権を奪われている」という精神的な磨耗が起こりやすい。これをいかに「主導権はこちらにある」と錯覚させるかは、「ボールを回させている」と考えるメンタリティの有無による。そしてそのメンタリティは、望月監督時代を無視しては語れまい。


 ペトロビッチ監督の仕事に対する賞賛は幾らでもできる。青山敏弘柏木陽介の抜擢のみならず、チーム全体に健全な競争意識を植え付けたこと。だが、ペトロビッチの就任の経緯は、かなりの幸運があった。いわば7月からの反攻は、俯瞰的にみれば必然性よりも「運」のほうが強い。それよりも、「7月反攻」という希望など露も見えないなかで、真っ暗闇のなかで、汚れ役を買って出て「チーム」を蘇生させた望月一頼は、影のMVPとして評価すべきだろう。

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