SD城彰二INTERVIEW


 サッカーダイジェスト2006年12月19日号、城彰二横浜FC)インタビューより抜粋。

>P31「(※神戸を辞めた)あのときが一番どん底でした。それをひきずって横浜FCに来て、1年目に得点はしましたけど、チームは良くない。それで家に帰って、このチームは全然、足りないとか、人のせいにばっかりしていた。それを変えてくれたのは、やはり妻でしたね。『人のせいばっかりにしているけど、自分は何をやってるのよ』と」
(中略)
>P31「いやもう、妻なしでは僕は変われなかったと思いますよ。(中略)今年に関しては本当に言い争うこともなく、初めて理解できたのかなと。すべてのプライドを捨てて、この一年勝負するというね。今も妻とよく話すんです。『本当に変われてよかったね』と。『あなたがこの一年間、文句も言わずサッカーに集中してきたし、結果も残してきた』って」


 選手にとって最も身近な存在なのは、チームメートや監督ではなく、やはり友人や恋人、そして奥さんでしょう。身近な存在の心無い助言、浅薄なアドバイスによって身を持ち崩していったサッカー選手を僕は何人も知っている。


 城は幸運だったと思います。最愛の伴侶が、こういった素晴らしい人格の持ち主であったこと。もちろん、そういう人物を伴侶として選んだ城の「見る目」は本当に正しかった、ということでもありますが。


 今季の横浜FCは、正直なところ「まさか昇格するなんて」「まさか優勝するなんて」としか思っていなかった。試合もロクに見ていない。だから、この昇格劇が「誰のお陰」だなんて軽率なことはいえない。それでも若手とベテランのパイプ役を見事にこなした城彰二の“成長”なくしてこの結果はありえなかっただろうし、その城を支えた「内助の功」もまた横浜FCを後押ししたといえるのでしょう。


 こういう話は、もっともっと聞きたいですね。『内助の功』特集として組んでほしいぐらい。ちょうど「巧妙が辻」もやっていますし(笑)。

追記

 ただ、「横浜FCがなぜ昇格できたのか?」を語る上で、どうしても外せない事柄が一つ。「なぜ第1節で足達監督を更迭したのか?」この話は、今週のSDには出ていない。記憶する限り、他の媒体でも詳しい話は出ていないと思う。選手からの信頼が著しく低かったという話はなく、むしろこの城インタビューでは「監督に申し訳なかった」「自分を信頼してくれていた」「みんな言ってましたからね、自分たちの責任だって」というコメントさえある。


 マネジメントとしては到底ありえない、第1節での監督更迭、さらにJ未経験の新人監督登用。基本に立ち返って守備を優先するという分かりやすいコンセプトを打ち出したとはいえ、普通ならチームがバラバラになってもおかしくない。ところが、「あの一戦に負けて、本当にこう、死に物狂いでやるぞ、という気持ちになった」(前掲、城インタビュー)という。いったいどういうカラクリなのか。足達監督の早すぎる更迭の理由は、何だったのか。選手との不和でないとすれば、上層部との不和か。しかし不和があったからといって、開幕戦で監督の首を挿げ替えるというのは尋常な事態ではない。


 このあたりの事情がスッキリした形で語られることは、恐らくない。そしてそこに横浜FCの暗部というか、病巣のようなものがあるのかもしれない。

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