ガーナと日本の奇妙な“符合”

 ところで、ガーナである。サッカーにおけるガーナ代表の選手(あるいは、チーム)と聞かれて、どんなことを思い浮かべるだろうか。


 普通の人には、「カカオの産地」で「ドイツW杯に出場したアフリカの強豪」、と説明すれば丸く収まる。「エッシェンアッピアームンタリといった欧州で活躍する選手を招集した、油断できないチーム」と書けばなお親切だ。ちょっとサッカーに詳しい方は、例の“カンプ・ノウの悲劇(youtube動画)”で芝生を叩きつけて何度も悔しがっているバイエルンのサムエル・オセイ・クフォーの姿を説明してみると良いかもしれない。


 まあ、ただ、このドイツW杯の映像を見せれば「ガーナの強さ」に関して説明することはほとんどないだろう。


 ちなみにこの1点目を決めたアサモアー・ギャン、2点目を決めたサリー・アリ・ムンタリ来日メンバーに入っている日本は明日、こういう化け物たちと対戦する



 僕の場合、「ガーナ代表」と聞くと、アトランタ五輪準々決勝でブラジルと対戦し、2−3で惜しくも敗れたチームを思い出す。FWアヒンフル、MFアクノールというタレントを要し、当時ロナウド(デブ)、ロベルト・カルロス、ベベト、ジュニーニョら最強メンバーを揃えたブラジルから2点を奪う健闘を見せた。特に1−1としたシーンで見せたアクノールの直接FKは、30メートルほどの長距離からドライブ気味に放った鮮烈なゴールだったと記憶している。アトランタ五輪は「ナイジェリアの大会」となったが、僕の中ではあのガーナ代表の個人能力の高さが印象的だった。


 もっとも、僕以上に年季が入っている人となれば、もうマルセイユ時代のアベディ・“ペレ”・アイェウしかあるまい。1991年から3シーズン連続でアフリカ最優秀選手賞を受賞した、名選手。僕自身が彼のプレーしている姿を見たのは1996年のトリノ時代で、『セリエAダイジェスト』(フジ)で、文字通りダイジェスト映像を見ただけ。ただ、“ペレ”の異名にふさわしいドリブラーであり、ボールを離すタイミングを心得たゲームメーカーであったことは分かった。


 より詳しい方は、後に剥奪されることとなる1993年のチャンピオンズカップ決勝youtube動画)で、“ペレ”がCKからバジール・ボリ(後に浦和レッズに加入)の決勝ゴールをアシストしたことをご存知だろう。彼のマルセイユ時代の活躍を知る人となると、おそらく『サッカーマガジン』における記事を熱心に読み込んだ人くらいで、もうズブズブのサッカーフリークであるはず。あるいは、数十年来のサッカーフリークを自認しておられる武藤文雄氏に聞けば、さらに奥深い話が聞けるのではないだろうか。


●ガーナ戦メンバー今昔


 ところで、4日はガーナと日本の試合である。ガーナと日本の試合は、2004年アテネ五輪ぐらいしか記憶にない人が多いかも知れない。フル代表では「初対戦じゃないのか」と思っていて、あるいは「あのガーナと対戦できるのか」と感じる人も多いかも。


 しかし、ガーナと日本は過去2度の対戦経験がある。それも、1994年7月8日1994年7月14日(いずれもNumberWebアーカイブ)の短い間隔で、いずれも日本のホームで開催された親善試合。2戦とも、日本が勝利を収めている。しかも8日の試合は、当時のパウロ・ロベルト・ファルカン監督体制下における記念すべき初勝利だ。以来フル代表としての対戦は12年もご無沙汰になっているが、当時は「お世話になった」相手だったのだ。

http://number.goo.ne.jp/snt/matches/1994-07-08/
キリン杯に続くファルカン日本代表の強化第2弾シリーズ。世界ランク28位(当時)のガーナを招き、名古屋と神戸で2連戦を行った。初戦でとりわけ活躍が目立ったのはカズ。2得点1アシスト。エースの本領をいかんなく発揮した。

 当時は、こういう時代だった。“ドーハの悲劇”から復興し、フランスW杯へ向けて、否、それよりも目先のアジア大会へ向けて新たなチーム作りを模索していた時代。三浦知良が押しも押されぬエースとして君臨していた。記事から記憶を呼び覚ませば、恐らく布陣は次のような感じだったのではなかろうか。


−−−三浦知良−−−−−−−−小倉隆史−−−−
−−−−−−−−山口敏弘−−−−−−−−−−−
−−−−岩本輝雄−−−−−柱谷哲二−−−−−−
−−−−−−−−森保一−−−−−−−−−−−−
−−遠藤昌浩−−−−−−−−−−−−森山佳郎
−−−−−−−井原正巳−−名塚善寛−−−−−−
−−−−−−−−−−本並健治−−−−−−−−−


 ちなみに、4日の予想スタメンは恐らくこのような形だろう。

−−−巻誠一郎−−−−−−−−佐藤寿人−−−−
−−−−−−−−−羽生直剛−−−−−−−−−−
三都主アレサンドロ−−−−−−−−−−駒野友一
−−−−−−鈴木啓太−−−遠藤保仁−−−−−−
−−水本裕貴−−−阿部勇樹−−−−青山直晃−−
−−−−−−−−−川口能活−−−−−−−−−−


 隔世の感がある、とはこのことだろう。


 とはいえ、幾つかの共通点もある。W杯(あるいは予選)を経験したメンバーは、ファルカン時代は4名でオシム時代は5名。 ドーハの悲劇』からの立ち直りと、『ドルトムント終戦』からの復興というチームに科せられた使命。そして、「若返り」という共通項。世間から向けられる目線は、Jリーグブームに沸いた当時と現在とでは違う……いや、やはり似ている。結局センセーショナリズムが横行するという点では、大した違いはない。そんな似たような空気の中で、再びガーナと対戦することには、何となく“縁”じみたものを感る。


 当時も、そしてほぼ12年後の現在も、日本はなぜか新監督のチーム作りの初期段階でガーナと当たることとなった。報道によると、当初はパラグアイやイランなどと交渉を進めていたようだが、その時期にベストメンバーで来日できない相手では「意味がない」(報知)というオシム監督の意向を受け、最終的にガーナとの契約がまとまった(報知)。


 ファルカン時代の日本は、ガーナとの2試合で連勝を収め、アジア大会に向けて何とか体裁を整えた。もっとも、不吉なことにこのチームは、オシムもよく口にする「準備期間の短さ」が原因で、アジア大会準々決勝韓国戦の敗戦を最後に、解体されてしまうのだが……。


 ともあれ、符合は単なる符合に過ぎない。4日の試合は、オシム日本にとっての、追い風となるような試合を期待したい。

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