祖母の食生活が素晴らしすぎる件

KIND2008-10-14

 サッカーに関係ないかもしれないが、この話に「自分は関係ない」と思うようだったら、あなたは自分は植物ではないか?と疑ったほうが良いかもしれない。

 まあそんなに大したことではない。単なる生命の話だ。この記事を読む以上誰だって呼吸をしているはずであり、命を持っているはずであり、よってありふれた話ではある。事実、20代前半から中盤にかけて、自分も軽視していた。だから体調を崩した。「当たり前のこと」「ありふれた話」を軽視するとこうなる、ということを、30手前にして痛感している。

 で、タイトルの件。僕には祖母がいて、現在83歳になる。だが、まったくボケる兆候がない。マシンガンのようにしゃべり、人の話をまったく聞かず、話の途中で割り込んだり、あいづちを打ったかと思ったらまったく違う話にダイナミックに展開したりする。が、それは単に日頃話し相手がいなくて鬱憤がたまっているだけで、病気ではない。むしろ、エネルギーが満ち溢れている結果だ。

 祖母は若い頃、特に身体を鍛えていたわけではない。にも関わらず身体は非常に丈夫で、風邪ひとつ引かない。腕を骨折して肩を痛め、医者から「これ以上腕は上がりませんよ」と言われたが、3ヶ月リハビリしたら元通りに治ってしまった。

 この健康さは、間違いなく食生活の賜物だと思う。祖母の食卓には、毎日多くの種類の食事が並ぶ。昨日もらったものは冬瓜汁(大量の野菜に鶏肉が入っている)、大根の煮浸し、ひじき、湯がいたほうれん草、香の物、それにご飯一膳だった。メインを頂かなくても、十分に腹がふくれる。いずれも栄養価が高く、脂分は少なく、従ってカロリーも低い。こういう風な食事を三食決まった時間に毎日、少なくとも僕が生まれた頃から30年以上は優に続けている。もちろん、それ以前も続けていたのだろう。

 祖母はまた、スナック菓子やカップヌードルの類をいっさい口にしない。自分でコンビニに立ち寄ったことは、おそらく一度としてないだろう。人工添加物を摂取する量は、自分とは比較にならないほど少ないはずだ。

 また、サプリメントの類も一度も取ったことがないという。というより彼女は、その存在すら知らなかった。「野菜やら魚から抽出した栄養素を加工して錠剤にしたものだ」、と説明したら、『じゃあ野菜やら魚やら食べりゃあええがね』と一言。
返す言葉もない。

 祖母は、日本の伝統的な食生活の素晴らしさを体現する存在だと思う。怪しげなサプリメントや健康食品に頼るより、祖母が何を食べて健康を保っているかを聞き、それを真似するほうがはるかに信用できる。

 最近改めて思うのは、市販されている食べ物の多くは
五十年前には存在しなかった
 ということだ。『これを食べて五十年、未だに元気です』という見本がないか、あっても少ない。一方、十年やそこらでブクブクに肥え太り、足腰が弱り、視力が衰え、精力が低下した人なら国内外問わず幾らでも探せる気がする。
このブログの管理人とか。

 野菜を大量に食べるようになり、http://d.hatena.ne.jp/KIND/20081007/p1祖母の食生活の素晴らしさを改めて実感した。こういう理想的な実例が身近にいることは幸運だと思う。

 同時に、自分のように実例を知る人間が自ら『実例』となって引き継がねば、この食生活は将来必ず廃れると思う。少しずつではあるが、こういう習慣を技にし、会得していければ。

 追記:
 そういや、野菜ジュースのCMで『一日に採らなきゃいけない野菜はこんなに多い!』って画がよく出るが。あれは、一種のレトリックだろう。単に生野菜だからかさばって見えるだけで、湯がいたら体積は3分の1に減る。それを三食に分けるから、実際はあの9分の1ぐらいの量にすぎない。

 そう考えると、大量の野菜を採るのはそれほど難しくない。休日に野菜を大量に刻みまくっておき、ラーメンに入れるなりパスタに入れるなりを続けるだけでも全然ちがうだろう。