ブログの賞味期限について思う

KIND2008-10-10

 毎度のことながら、単なるつぶやき。disりではないので、カッカしてトラバとか送ってこないでください。ま、そんな注目も集めてないけどこのブログw

 表題の件。ある本を読んでいて、「ブログの賞味期限はだいたい5年ほど」という文言があってなるほどと思った。僕はyahoo!掲示板に書き込み始めたのが2000年の7月、シドニー五輪が始まる直前だったからかれこれ8年も「ネットの住民」であり続けている。いや、まあブログだったりホームページだったり掲示板だったりを片っぱしから立てては潰しているので「あり続けている」なんて表現はふさわしくなく、

 へばりついている

 などの表現が穏当かと思われるが。それはともかく、それなりにネットの栄枯盛衰を見ていると、確かに賞味期限があるなと気づく。以前夢中になって読んでいたサイトが、ある時期を境に徐々に、あるいは劇的につまらなくなり、disりの対象となり、やがては無視の対象となり、忘却のかなたに消える。アンテナにもブックマークにもRSSリーダーにも入らなくなり、それで不都合をまるで感じないどころか、「ああ、なんて無駄な時間を過ごしていたんだ」と清々する。なんてことは

 結構ある。

 そして、誰にでもあると思う。僕のサイトというか、ヤドカリのように家をとっかえひっかえしているので「KINDというID」という表現がふさわしいが、やはり似たようなことを思っている人は結構な数いるだろう。以前運営していたブログでは、一日平均5,000PVという冗談のような数字を稼いでいた時期があった。UUはどの程度か、その頃のブログでは分からないのでアレだが、少なくとも現在の数字は1日せいぜい1,000PV行くか行かないかだ。この程度の数字が色んな意味で「居心地がいい」のだが、それはともかく残り約4,000PV、UUはだいたいPVの3分の1程度という感覚があるので1,300人程度のユニークユーザーが「ここを去った」という勘定になる。

 そういうことは、結構普通なのだと思う。「情報はうつろいゆくが、人は変わらない」と思っている人がいるかもしれないが、おそらく実態は逆だ。一つ一つの情報それ自体は変化しないが、情報を聞く前と聞いたあとの自分は明らかに違う。極端なことをいえば、玉音放送の前後で『同じ』人が1人でもいたのかという話。

 この基本認識は重要だと思う。細胞レベルでも3ヶ月もあれば体内のすべての構成物は入れ替わっているらしい。人が不変だというのは思い込みで、否応なく人は可変。『変わりたい』と思わなくたって変わる。

『変わりたい』と思うなら、実はその時点で『思い立つ前の自分』とは変わっている。そういうことなんだろう。同窓会で『変わってないなあ』という言葉が飛び交うからといって、じゃあそのまま制服着て登校できるかという話。

 ともあれ。人間が可変である以上ブログも当然可変で、質も量も大きく変わりうる。その中で、ずーっと変わらない質の高さで更新を続けているSanfrecce Diary http://homepage3.nifty.com/sanfreccediary/、kasa in okayama内「サッカーな日々」http://hpcgi2.nifty.com/VEN07574/yybbsa.cgiは本当にすごいと思う。この2つのサイトは、おそらくサンフレッチェ広島が、あるいはサッカーそのものがなくならない限りは読みつづけるだろうと思う。

 特にオチなく終わる。