浦和は“被害者”なのか?

 社会的存在としての企業体の責任をまっとうする気概に溢れた青い方の謝罪文と、あまりに対照的すぎてもはやギャグの領域に達している具体性のカケラもない赤い方の謝罪文について、ネチっこく解読してみようかと思いました。

 が、ネット上の浦和サポのページ見てると、「浦和は被害者」ってのが大多数ページにおける通奏低音になっていて、はっきりいって非常に不快に思いました。

 というのは、この事件において「何が一番傷ついたのか」と考えれば、もちろん「国内サッカーそのもののイメージ」に他ならないからです。物事を矮小化し、スタジアム内で起きた出来事という視点“のみ”にフォーカスしたとしても到底浦和が「単なる被害者」などではありえないわけですが。

 普通の神経をしていれば、サッカーに対する風向きが決してよくない昨今、「このような事件を起こしてしまって、全チームのサポーターに対して申し訳ない」という気持ちが根底にあるはずなんですが。ネット上の浦和サポーターは、まるで初めて本土爆撃されて集団ヒスに陥った911以降のアメリカのごとく、「ガンバ大阪はテロリスト、我々は被害者」という気持ちでいるかの「ように見えました」。

 この「ように見えた」ってのがキモで、実際の気持ちなんて知らないわけですから、こちとらその「立ち居振る舞い」から判断するしかない。そしてパッと見で判断すると、やっぱり浦和レッズ本体にせよサポーターにせよ「被害者意識」が強すぎだなーと。

 ところで、よく使われる論法として「現地に行ってない人間は何も言うな」というズッコケ論法があります。この論法に突っ込んでどこがダメか書くのもいいんですが、ここはあえて乗りましょう。現地に行ってない僕は、以降価値判断を示しません。かわりに、「現地に行った人のレポート」を掲載します。

 このレポに関する感想はとりあえず保留しましょう。「現地に行ってない」のでね。いわばこの掲載は、ある意味では「スタジアム内では我々は被害者だ」とする浦和サポのミクロな文脈に乗っかる形ですが、仮にその文脈に乗った「としても」、このレポを読んだ後に果たして「浦和さんは一方的な被害者だね」と考える人がいるのかどうか。そこは読者の方にゆだねます。

キックオフに到着し、試合終了の16時から、19時くらいまで現場で見ていました。


何が事の発端なのか?? “そもそもの原因”が特にあるわけではなく、
小さな積み重ねが少しずつ大きくなっていって、だんだんとヒートアップしていった、
というのが現場での印象です。


浦和のクラブの人 が、18時半にサポーターに拡声器で説明していたところによると、
「試合前から物が投げられていた」
そうで、

ハーフタイムにもペットボトルのようなものが飛び交っていました。


試合が終わってからの選手の動きは、テレビでご覧のとおり。
ガンバが円陣を組む直前に、ガンバサポが
「う〇こレッズ」コール
をやっていたのも、要因のひとつだと思います。


また、都築がガンバ席やガンバの選手にむかって何か言いにいっていたのも、
浦和サポーターに火をつけた大きな一因に見えました。


緩衝地帯の両脇は、大きな柵があります。
1606、柵からもぎとったと思われる棒が、浦和席からガンバ席に飛びます。


1610、緩衝地帯の、浦和席側の柵が倒れて、浦和サポが緩衝地帯に突っ込んでいきます。


1614、浦和サポーター数名が、コンコースのさらに外、喫煙所があるデッキ(=2階のレベル)から、
ガンバ席のほうに行きます。
そこも柵でしきられているのですが、係員が自ら柵を開けて通していました。


1620くらいには、チケットを切るところから横に延びる柵(=1番外の柵)
の周辺(1階のレベル)に、ものすごい数の浦和サポが集まります。


報道では「5000人が囲いこみ」
などとなっていますが、
デッキで団体連中が囲いこんで、一番外の柵の周辺の数千人?は、自分の印象としては
「見守っていた」というかんじでした。


1630、救急車1or2台と警察が続けざまに登場。警察は、少なくとも20〜30人はいました。
ここからしばらく、動きなし。


1750、多くのガンバサポはスタンドに残ったまま。(試合終了直後に帰れた人もいた)
コンコースでは、ガンバサポーター4人の周りを警察が囲み、
さらにそのまわりを浦和サポーターが囲んでいるという状況。


1759、護送車3台登場。一番外の柵の数千人からの大ブーイングあと、浦和サポが護送車を囲みます。


1809、浦和サポーターのひとりが、デッキ(=2階)から外の柵のサポーター(=1階)にむかって拡声器で説明。
「ガンバのリーダーが自分に謝った。ガンバサポが帰れないから、帰路についてほしい。くれぐれもガンバサポに危害を与えないようにw」
という主旨。
3分の2くらいの浦和サポは帰ります。


何について謝ったのかの説明はありませんでした。


1839 球団の人が、デッキから同様に説明。
「試合前から、物が投げられていた。そこは家族連れも多い席で、とても不愉快。試合後に、ガンバの球団側にその旨伝えた。
現在、両サポーターと両球団で話し合いをしてる状況。
ガンバサポーターが帰れないので、帰路についてほしい」
との主旨。

こういう言い方をしないとサポーターが納得しないこともわかるのですが、
自分たちが被害を受けたことについての説明だけにとどまり、
浦和側の落ち度や反省などはなにも触れていないことが印象に残りました。


ここで、さらに4割くらいは帰路に。


1846 さらに人は帰り、サポーターが説明していたときの一割ほどに減ります。


ここから特に動きはなく、自分は19時すぎに帰宅しました。

1656、喫煙所のあるデッキ(2階部分に相当)にいた人たちが出てきて、一番外の柵周辺(1階部分)にいる人たちに見えるように、
ガンバの横断幕を3枚、デッキの外側に一度掲揚しました。
(普段、手拍子をしている横断幕が掲げられている位置)


その後10名弱程で、その横断幕を切り裂き、切り裂かれた破片を1階部分にいた人にむかって見せます。


すると1階部分にいた人たちからは、大きな拍手が巻き起こりました。


そしてデッキにいた人たちは、1階部分にむかって破片を次々と投げ捨てました。


投げ捨てたのは横断幕のみでしたが、ここから1730頃までの間、太鼓やゲートフラッグ等の応援用具を、
次々に1階部分の人に見せた後に破壊し、破っているシーンやその残骸を1階部分の人に見せつけ、それぞれ拍手が巻き起こっていました。
太鼓がぱかっと割れた残骸には驚きました。。。