「ブログは自己満足」って前提じゃないの?

 案外前提になってないのかなーと、増田さんのコメントを読んで思ったのでした。読みにくかったので、多少書き直しました。大意に変更はなし。

http://anond.hatelabo.jp/20080512042329
愚痴やら恋愛やら泣き言は増田のが適しているかなと。IDを晒してのコメントは所詮建前。

そんなわけで、ブログってのは成果物の情報拡散目的でしか威力を発揮しないんで(今更だけど元々の利用目的はそんなだし)、成果物のないブログに価値はないなと。

価値のないブログを公開し続けるってのは、結局は自己満足なんだよね。で、いつの間にかブログを更新することが目的化しちゃってる。

自己満足のループ。気づいた時にはもう手遅れ。時間は戻らない。

 え、今気付いたの? というツッコミは野暮でしょうか。

 もちろん、「価値のないブログを公開し続けるのは、結局は自己満足」ってとこに対してね。そこがタイトルにつながります。
 以前にも書いたけど、僕はブログを自慰行為の場所だと考えてます。アメリカのように実際に取材して一次情報を披瀝して「メディア」として成り立ってるブログなんて(機能的に見ると)ほとんどないわけで。

 池田先生のところや楠氏、dankogai氏のように強大な影響力を持つブログもあるけど、それ以外の大多数のブログは二次情報を好き勝手に加工するだけの、自己満足以外の何ものでもないブログなわけで。もちろん弊ブログもそうですよ。

 しかし、僕は「自己満足で何が悪いんだろう?」と思うんですよね。

 ブログには、基本的に原稿料は発生してないわけですよ。掲載媒体の方針は自分次第だし、受け取る編集者を待たせているわけでもないし、ブラウザの向こうにいる読者の財布を痛めているわけではない。また、アフィリは原稿料ではない。誰にも迷惑を掛けていないし、だから誰に文句を言われる筋合いもない。ゆえに、自己満足で全然構わないと思うわけです。

 そうすると、あとは「価値」をどういう基準で定めるか、じゃないすかね。方法は2つあって、他者にゆだねるか、自分で定めるか、ですが。

 まず他者に価値判断をゆだねる場合。僕の感覚では、ブログ記事の客観的な価値なんてものは、「書いてみないと分からない」と思います。

 このブログもありがたいことに大勢の人が読んでくださってるけど、ホットエントリーになった記事は必ずしも僕が「他の記事より価値がある」と判断した記事ではない。僕自身がそれなりに気合入れた記事が空振り、なんてことはしょっちゅうです(笑)。

 それより大切なのは、「自分にとって、この記事の価値はどうか」ってところかなと。「記事を書くこと=誰よりも早く自分が読むこと」によって、自分にどういう影響があるのか。書いてしまって後悔したと思うなら消せばいいし、「オレってこんなこと考えてたんだ」と思えば残せばいい。「誰かに読んでもらいたい」と思うなら、やっぱり残せばいい。

 書くことによって、自分を中心とした世界がちょっとだけ変わる可能性がある。世界が変わらなくとも、自分がちょっとだけ変わる可能性はもっとある。

 ということで結論は、「自己満足でいいから書いていようよ」ってことでした。ワーイ。