Perfumeを応援したくなる理由:観客との関係性

 熱がひどいっす。閉じこもりっぱなし。で、色々考え事をしてたら長くなったので、コラムにまとめました。

 この間のPerfumeライブを見に行って思ったこと。Perfumeを好きな理由の一つは、観客との間に一定の緊張感があるからなんだなあと思った。
 例えばライブにおける観客との関係性。あ〜ちゃんは、観客をいじるけど、甘えない。面白いリアクション、自分たちが望むような返答を期待しない。だから、どんなリアクションが帰ってきても即座に切り替えしができる。しつこい客がいても、「何あの人、どうにかしてよ」というような甘っちょろい顔をしない。何を言われても即応できるように身体が準備できているし、ホントにしつこいときは相手にしないで話題を代え、あっという間に観客の意識を切り替える。もちろんそこには話芸の技術の研磨があるのだけど、何よりまず「客に甘えない」「自分たちで何とかする」という、緊張感をはらむ基本姿勢がある。

 それは中田ヤスタカによる曲にもいえる。「カラオケで歌いやすいように」という配慮は、特にメジャーデビュー以降のほぼ全曲において皆無。ボーカルが加工されている時点でそもそもカラオケ向きではないし、歌いやすそうに見える曲も微妙に歌声が重なっていたり、カノンになっていたり、生歌唱では到底出せないような高音域だったりする。少なくとも全然歌いやすくはない。ボーカル抜きのトラックもあるが(『ポリリズム』『Baby cruising Love / マカロニ』)、それはむしろ完成度の高いトラックをじっくり聞かせるためとも取れるし、ひょっとするとマッシュアップを奨励するためのものではないかとさえ思える。何にしても、そこに「素人さんがカラオケで歌いやすいように」というダメな意味でのポップさはない。

 単に「振り付け」と呼ぶには複雑すぎると思えるダンスにしてもそう。『天才てれびくんMAX』に出たとき、子供に「ダンスのコツはありますか?」と問われたあ〜ちゃんは、「コツというか、8年間練習してきたんで……」と珍しく“素”のコメントをしていた。ライブの、特に後方で見ればよく分かるが、Perfumeのダンスは難しい。一つ一つの振りもそうだが、3人のシンクロのさせ方が極めて難しい。1人1人が微妙に違うフリをしたり、止まったり微妙に動いたり、かと思えばまったく同じ動きをしたりと、オシムサッカーよろしく「身体より頭が疲れる」振り付けが多いように見える。だから、簡単にマネはできない。

 そう、Perfumeのパフォーマンスはどれを取っても簡単にマネできないのだ、実は。すでにフォロワーが幾つか現われているし、ヒマなのでそれらを逐一youtubeなどで視聴しているが(さすがに購入はしない)、色々試行錯誤した結果似せられたのは曲だけ、というパターンが今のところ最も多い。

 いわゆるJ-POPが「完全にダメになったな」と思った瞬間は幾つかあって、例えばそれはシングルCDの3曲目あたりに「カラオケ」を入れ始めたときだったように思う。どのアーティストかは忘れたが、カウントダウン番組で「カラオケでも歌いやすいようになっています」と発言したときがあった。確か高校生のときに見た番組だったと思うが、そこで「ああ、終わった」と思った。何が終わったのかはよく分からないが、終わった気がした。

 今なら言葉になる。それはアーティストが、商業主義に「目に見える形で」屈した瞬間を見たからではないか。そのアーティストが誰かを思い出せなくてある意味ホッとしているが、ともあれ彼は笑っていなかった。「カラオケでも歌いやすいように」という言葉は、メジャーデビュー以前に彼が持っていたであろう大小の矜持を踏み潰し、そもそもそんなものなど存在しませんよ、という顔をしなければ吐けない言葉だからだ。90年代以降のJ-POPが、商業的に隆盛を極めながらも「音楽的にはどうなの」ってものが結構あり、そしてその感想が裏付けるように、多くの曲が記録に残れど記憶に残らないよーな状況になっていたりするのはそういうことだと思った。少なくともオレの中では。

 ちょっと以前に「昔ならコアだと思われていた存在が売れ始めている」という気付きを書いたけれど、それはつまり記憶に残らない泡沫的な音楽(中田ヤスタカが言う『90年代の必勝パターン』かと)に、かなりの人が嫌気を覚えていて、それゆえ大部分の人はそもそもポピュラーミュージックを聴かなくなるか、聴くとしてもいきなり入り口がコアになっている人が、相対的に増えているような「気がする」。気がするだけ、だけど。

 ともあれ、3人にしても中田ヤスタカにしても、PV監督の関和亮にしても、コレオグラファーMIKIKOにしても、マネージャーのもっさんにしても、つまりのっち・かしゆかあ〜ちゃんをフロントマンと見立てた「チームPerfume」は、良い意味で世間に迎合せずやってきたプロ集団だと思うのだ。だからオリコンウィークリー1位になっても、いや「そうなる流れ」にあっても、何一つブレないのだろう。

 いや、実は『Baby cruising Love』はちょっとだけ「ブレたのか?」と心配したけれど。あれはPerfumeのメジャーデビュー以降の曲では異例といえるほど3人の生声が聞こえ、3人の声が判別でき、比較級で語ればもっとも生歌唱しやすい曲だった。『ミュージックステーション』で生歌唱が始まったときは物凄く心配したし(笑)、また「だからこの曲なんだな」とも思った。が、『GAME』における曲順を見て、この曲の印象がガラリと変わるマジックを見てから、1%だけ芽生えていた疑念はキレイサッパリ消えた。Perfumeは何も変わっていない、と。

 この話のオチとしては若干下世話で恐縮だが(笑)、だいぶ前に「Perfumeはネタにならない」と書いた。それは3人に性的アピールが乏しいせいだ、と思っていた。が、それは半分正しくて半分間違っている。「そういう部分はAVに任せておけばいいじゃん」と思ってるかは知らないが、Perfumeはどこかの雑誌インタビューでのっちが「水着は着ません」と発言していたとおり、性的フィールドにおける勝負をするつもりはない。

 もちろん性的フィールドで勝負するポップシンガーはブリトニーやマドンナを出すまでもなく国内外問わずたくさんいるし、だからそういうのが邪道ということではない。のだが、「チームPerfumeは性を売り物にしませんよ」という宣言は、なんだか喝采を送りたくなる。それは単純に「セクシーな女の子が歌って踊るだけで男は喜ぶだろう」という、ある種観客を小ばかにしたようなやり方にNOを突きつけているように感じるし、またプロフェッショナルとしての矜持を表しているように思えるからだ(注:ブリトニーもマドンナも音楽的に素晴らしいと思うので、そこは誤解なきよう)。

 そういう今の時代には少ない清廉潔白さ、プロフェッショナリズムに裏打ちされたすがすがしさ、つまり「強く優しい」存在感。観客の好意を前提としない(「Perfumeを見捨てないでください」というあ〜ちゃんのコメントに象徴される)、ひたむきに良いものを追求する、古典的な職人魂ともいえるようなたたずまい。そういうものが若干19歳の女の子3人からヒシヒシと感じられる。そういうところも、彼女たちをすんなり応援したくなる理由ではないかと思う。