文章を「客観的だ」と錯覚させる方法

 実際に客観的かどうかはともかく、「この文章は客観的だ」と読者に錯覚させる方法ってなんでしょーね。

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20080327/1206613775
>ただ、例えば「地位を不動のもの」とか「社会現象にまでなった」「お茶の間を沸かせる」とかは客観性を伴っていないというか、人によっては「そうか?そうなのか?」と思うファクタも存在しているし、楽曲はディスコグラフィーに任せておけば良くってわざわざ概要に主な曲を書く必要があるのだろうか、というような疑問は無くもない。

 一連の流れを読んでいて、これは文章作法の問題だろうと思ったのでカキコ。
 「この文章は客観的に書かれている」と錯覚させるための方法は、極力「形容詞を排除する」こと、もう一つ「数字を書く」こと。数字はレトリックの基本ですから。

 アサファ・パウエルはとんでもなく速え!

 は事実であっても、「なんか主観的」に感じる。ここの形容詞を排除して、

 アサファ・パウエルは速い

 なら、客観的「に見える」。しかしこれだと無味乾燥だし、「速い」さえも捉えようによっては主観に読める。なので、数字を加える。

 アサファ・パウエルは100mを9秒74で走る

 なら、客観的「に見える」し、かつ主観を挟んでいない「ように見える」ので、人はこの文章を「客観的だ」と判断するかもしれない。

 しかし実際に客観的かどうか、真実が書いてあるかどうかは分からない。この文章におけるアサファ・パウエル氏はそもそも世界記録保持者のアサファ・パウエル選手と同一人物かどうかは分からないし、よって100mを9秒74で走るのかどうかも定かでない。

 が、普通の人はそこまで考えないので、この考え方はけっこう有効。眠いので書き直すかもしれないけど、作文を添削する時など僕はしょっちゅう「形容詞を削れ」「数字を入れろ」と指導する。色々注文をつけるよりこの2つだけを教えれば、それだけでだいぶまともになる。お試しアレ。