日本人はスポーツを理解して「いない」か?


 雑な感想。日本人は、本当にスポーツを「理解していない」のか。この話は、たぶん続きます。


 そもそも日本にスポーツが持ち込まれたのは明治初期のこと。学校体育を中心に普及がなされたため、「スポーツ=体育=武道の延長」という考え方が一般的となった。その考え方はいわゆる「体育会系気質」のシゴキという形で現存している(最近ではそうでもないのか?)。また、日本のスポーツ施設は一般に「使う」ためのものであり、「見せる」ための施設は非常に少ない。Jリーグが開催要件として定めている集客数(15,000人⇒20,000人へ。なぜ?)、観客席に屋根があること、夜間照明等の設備が整っている等の施設が少ないこともその一例である。


 スポーツとは体育とは異なる、身体を使った遊行そのものであり、そこに勝利や敗北などの目的は存在しない。観客を動員し、入場料収入・広告料収入・放映権料収入などで存立するプロスポーツは“興行”であるが、一方でスポーツであることにも変わりはない。


 そう考えたとき、たとえば「勝利至上主義」あるいは「敗因の徹底追及」という考え方は、少なくとも「観客の視線」として健全なのかどうか、ちょっと迷ってしまう。例えば“ドーハの悲劇”において、日本中に「感動をありがとう」という言葉が汎用された。二宮清純は『勝者の組織改革』において、そのことを「日本人特有の『敗者の美学だ』」と批判している。一見して、二宮氏の言い分は正論のように思える。


 しかし、話は「プロスポーツ」である。プロスポーツは、興行である。その立場から考えると、金を払う観客は「楽しめばよい」のであって、必ずしも勝利を求めなくても良い。クラシックのコンサートに、演劇場に、高座に何らかのカタルシスを求めるのと同じ文脈で、サッカーの観客は理解されるべきではないか。観客は「何らかの満足」を持ち帰ればそれでよいのではないか。


 そう考えれば、観客が「勝因」や「敗因」を理解する必要も本来、ない。興行に金を払うということは、遊興費を出費するということ。要は、観客はどうあれ「プロスポーツイベントが行われる1日を楽しんで帰れ」ばよいわけだ。実際、アメリカのプロスポーツの考え方は「game-day experienceを売る商売」というものである。観客の反応は、game-day experienceの良し悪しであって、試合内容そのものの分析的な視点から来るものでは本来ないし、そうある必要もない。


 観客がどう反応しようと、競技レベルの向上という観点は現場で適切な分析が行われれば良い。そうなると、二宮氏の「観客批判」は、スポーツというもののあり方からすると実は間違っているのではないか、と思う。


 スポーツは、遊びだからだ。そしてプロスポーツは、「遊び」を売る商売であり、ゆえに観客を楽しませねばならない(自身が興行の主役である、という存在意義を理解しない選手は非常に多いが)。観客は楽しんだか楽しんでいないかだけを問われる存在であって、観客であることは保護されるべき権利である。


 サー・アレックス・ファーガソンマンチェスター・ユナイテッド監督)は、オールドトラッフォードの観客がホットドッグを食べながら「鑑賞」にし来ることに不満を述べ、「真のサポーターが欲しい」という意味の観客批判を行った。が、これにしたって「興行を観に来ているんだ、何が悪い?」という正論には反論できないはずである。毎試合当然のように観衆が入ることで、老将は興行主としての観点を忘れてしまったのではないか。


 Jリーグのチームは「スタジアムに応援に行こう!」という題目で観客を呼び込もうとするプロモーションがほとんどだが、それにエンターテインメントがあるという保証はない。プロスポーツとはそういう性質のものだが、だからこそ興行主はエンターテインメントをより意識せねばならないと感じる。そしてその姿勢れは、Jリーグが目指す地域密着と矛盾どころか完全に合致する。


「確実にエンターテインメントを供給する場」としてJリーグが存在すれば、観客の満足度は向上する。現状でgame-day experience(家を出た時から、スタジアムから帰る道のりまでを含む)を供給することは不可能としても、まだまだできることは多い。観客の良し悪しを問う前に、クラブとしてエンターテインメントを供給する方策をひねり出す方が先決といえるだろう。そしてそれは、必ずしもサッカー内容の向上だけではない。


 ところで現在のJリーグでは、敗戦よりも「90分戦いきったかどうか」で観客の反応が決まることが多い。それは『敗者の美学』などではなく、「全力で頑張る姿」が日本人の美意識に合致し、観客を楽しませたからではないか。そう考えれば、日本人は案外スポーツを理解しているのではないか、と思ったりする。少なくとも、プロスポーツを楽しむという観点においては。


 これは、観客の話であり、観客に対するプロスポーツの話。競技レベルの向上とは異なる。ただ、競技レベルの向上とエンターテインメント性の向上は、相反することも多いが、共通することも多い。ゴール後のパフォーマンスをチーム全員で考えたり、サポーターへの挨拶の仕方を工夫したり、試合後にマイクパフォーマンスを必ず行うなど、単なるサッカーの試合から「エンターテインメント」に昇華させる方法は幾らでもある。そしてそれを実践していたのが例えば三浦知良であり、ゴン中山である。


 Jリーグ開幕初期、バブルと呼ばれた人気の中で、彼らは「興行」の意味をよく理解していた。だからこそ派手なパフォーマンスを行っていた。それはプロスポーツというもののあり方を正確に理解していたからこそだと考える。

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