インド戦(下)に代えて


 あんまし体調が良くないので、「下」については急きょ内容を変更してお送りします。といっても、インド戦をビデオで分析して書く代わりに、インド戦「でも」見えた問題点を普遍的なものとして語ろう、というわけですが。

「正解だけど正解じゃない」


 昨今のJリーグを見ていて思うのは、「正解だけど正解じゃない」プレーが多いことです。噛み砕くと、「ダイレクトパスで繋げば相手は的を絞りにくい」は確かに正解です。だけど、サッカーには多様な状況があって、ダイレクトでつながないで一回タメた方が良い局面だってある。そういうこと。


 過日に「お箸は食べ物ではない」というエントリーをしましたが、ダイレクトパスだって一つの手段だということです。ダイレクトパスというのは、状況によっては相手の的を絞らせませんが、「こいつはダイレクトで出す」と読まれればカットされるものです。サイドチェンジにしても、十分に相手を引き付けた上で行うなら効果的ですが、そうでない場合逆サイドハーフに相手ボランチが急行している状況でサイドチェンジを送ってカットされる、という目も当てられないシーンが出たりします。いずれも、目の前で目撃したプレーです。


 インド戦に話を戻すと、確かに日程面によるすり合わせの時間の少なさの影響はあった。例えば「裏に走り出したところで足元にクサビが入る」といったコンビネーションの不備によるミスはありました。ですが、「中盤すっ飛ばさないで一旦中村憲剛に預ければリズムが変わるだろ」、「ワントラップ入れてしっかりコントロールすれば良いパスが出せるだろ」、「受け手の態勢が整ってないのにダイレクトで出しても仕方がないだろ」といった、状況を見ないパスミスが多かったことも事実です。それらは、日程だのピッチコンディションだのは関係ない。

オシムは本当に最適の監督か?


「早くプレーしろ」「走れ、走れ」というオシム監督は、先日のテーベさんとのやり取りで言うならば、「弱い個」の力をチームとして最大化することに長けている監督といえます。が、一方で日本が抱えている課題とマッチしているかどうか、それはまだ分からないような気がしているのです


 日本人の課題は、確かに「走ること」です。が、「早くプレーすること」ではない気がします。というのは、「走ること」に関してはそれほどうるさく言われていませんから、やはり必要だと思うのですが、「早くプレーすること」はユース年代から口をすっぱくして言われ続けているからです


 その結果どうなっているかというと、「早くプレーするため」に何でもダイレクトで出す、「早くプレーするため」に相手に読まれているサイドチェンジを出す、「早くプレーするために」味方の態勢も考えずにパスを出す……結局そういう思考停止プレーが多くなっている。この点について、オシムがどう考えているのかは分かりません。が、これも何度か書きましたが、プレーするのは選手なので、監督の言うことを選手がどう解釈するかによります。そして現状、どうも選手たちは「走って、早くプレーする」ことばかりに集中しているようにしか思えないんです


 相手を崩すということは、どういうことか。相手のタイミングをずらし、存在しなかったはずのコースにパスを通し、相手の読みを上回るタイミングでボールを受け、結果的に「先手を取る」ことです。「こいつら、何をしてくるか分からない」と思わせること。そのためにダイレクトパスがあり、ワンツーがあり、クロスがあり、スルーパスがあり、またドリブルがありタメるプレーがあり……要は、それら全ては「手段」であり「選択肢」であるということ。崩すための選択肢として「走ること」「早くプレーすること」は重要ですが、局面によっては正解ではない。


 そういうミスは、交通法規を守って40km/hで走った結果交通渋滞を引き起こす「正しさ」と一緒。目的はスムースにパスを流すこと、それによって相手組織を崩すこと。走ることもダイレクトパスも自分の頭で考えた結果ならば、状況に応じて最善の引き出しを選択できる。そうでないと、どこかに自分の判断や責任を仮託している、つまり「監督に言われたからそうしている」と思っていると、そういうミスは幾らでも起こるでしょう。


 そういう部分を、選手たちが咀嚼してくれるのか。オシム監督が指導する事によって、選手たちが「走る」「早くプレーする」以外のことを置き去りにするのではないか。僕は、そこら辺に結構不安を覚えています。


 まあ、Jリーグで解決するしかないんですけどね、そういう部分は。言いたいのは「焦らなくても崩せるよ」ということだけ。インド戦について語るべき部分は、そういうことだと思います。ので、分析はまたもオサボリ(おい)。

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