浦和レッズとラブマーク

 新しいマーケティング用語(?)に、『ラブマーク』なるものがある。この言葉は相当新しいものらしく、Wikipediaにも項目は追加されていない。いわゆる「バズワード」の可能性もあるが、このブログは便利なワードは積極的に使うという方針なので、じゃんじゃん使っていきたい。

 ラブマークについては、詳しくは以下のamazonアフィリエートを辿っていただきたい。要は単なるブランドではない、「理屈を越えたロイヤルティを持つファンを抱えるブランド」のことを指すワードである。典型的な例としては、Windowsに対するMacintoshが挙げられる。

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永遠に愛されるブランド ラブマークの誕生
永遠に愛されるブランド ラブマークの誕生

 日本のスポーツに当てはめると、ラブマークを持つ万単位のファンを抱えるスポーツチームは阪神タイガース、そして浦和レッズしかないだろう。

 浦和は、現在ではにわかに信じがたいが、Jリーグ発足当初「お荷物クラブ」と言われたほどだった。1993年の1st,2nd、1994年の1stステージと3ステージ連続の最下位。1994年のギド・ブッフバルト入団、1995年のホルガー・オジェック就任、さらに1998年の小野伸二入団などで一時は上位を伺える存在になりかけるが、1999年には小野の負傷などもあってJ2降格の憂き目にあった。

 それが、いまや2005年度の営業収入が約58億円、営業利益約3億5000万円という名実ともにビッグクラブとなった。特筆すべきなのは収益の内訳で、広告料収入が16億6000万円に対し、入場料収入が19億4900万円と広告料を凌いでいる点だ。

参照:http://www.urawa-reds.co.jp/Club/managdata.htm

 いったい、なぜ浦和はここまでの成功を収めることができたのか? こちらのブログでは、浦和レッズの成功を「奇跡に近いもの」と表現しているが、確かに奇跡的な成功であるように見える。

 詳しい解説は、きっと浦和ファンの誰かがしてくれるだろう。広島ファンの僕としては、詳しい事実を積み上げていくよりも、「浦和はファンのラブマークとなることに成功した」というお手軽な仮説を当てはめてみたいと思う。

 ラブマークの構成要因としては、以下の3点があるという。

1:「謎めいている」
2:「官能的」
3:「親密性」

 これに当てはめると、まずJリーグ開幕時の浦和レッズは1:「謎めいて」いた。同じ日本人同士でやるサッカーなのに、どうしてここまで負けてしまうのか。当時は延長サドンデス(後にVゴールと名称変更)方式で行われていたため、「白黒つけなければいけない」ことが負けにつながったことは否めない。それにしても、1993年1stの3勝15敗、2ndの5勝13敗、1994年1stの6勝16敗はやりすぎである。

 2:「官能的」についてだが、これはサッカーそのものを当てはめれば解決する。村上龍曰く、「サッカーのゴールは、セックスにおけるオルガスムのメタファーである」(爆笑)。

 さて、3:「親密性」については少しだけ真面目に語る必要があるだろう。現在の浦和を語る上で外せないのは、J2降格におけるサポーターズクラブの増加である。以前にレッズ関連の仕事に携わった際、あるサポーターから「J2降格して、チームが消滅するんじゃないかという危機感があった」というコメントを聞いた。このコメントは、他のサポーターからも異口同音に聞かれたもの。正確な数字は把握していないが、サポーターズクラブの登録数は1999年までの二桁から、2000年にJ2を戦う間に一気に300〜400まで増加し、2005年では3,237のオフィシャルサポーターズクラブがあるという。

 ただ、危機感だけが彼らをスタジアムに呼び込んだわけではない。クラブ側の努力も当然ある。浦和は3人以上の私設サポーターズクラブをオフィシャル認定し、3人に1本の割合でフラッグを贈っている(参照:http://www.urawa-reds.co.jp/Supporte/osc.htm)。

 チームとの距離、親密度を高める上で、『J2降格⇒昇格までの苦しい戦い⇒J1昇格のカタルシス』は極めて大きなモチベーターとなりうる。そこにクラブ側の誠実な努力が重なった結果、サポーターはクラブに対し大きな親密性を感じるに至ったといえるのではないだろうか。

 以上、単なるお遊び論考。