サッカー文化とは、大人とは

http://hpcgi3.nifty.com/ketto_see/cbbs/cbbs.cgi?mode=one&namber=34048&type=34015&space=30&no=0

 久しぶりに、掲示板に書き込むことを楽しんでいます。詳しくは上のリンク先を辿っていただければと思います。雑感として思うのは、自分が思うサッカー文化というもの、大人というものは、やはり幅が狭かったのかな、ということ。いろいろな部分で自分の考えを整理する機会を与えてもらったな、と思います。以下、雑感。

■サポーターに関して
 サポーターという言葉の使い方は、慎重にならないといけないのかなという気はしています。例えば僕は“真のサポーター”という言葉がかなり危険だと思っていて、それは「真の」と分けた以上、そこには「真じゃない」「偽の」が必ず意識としてあるから。

 つい使ってしまうんですよ、サポーターのスゴイ人たちを見かけると。でも、これはあんまり使わないほうが良い。比較級で論じると、パイは大きくならない。もっともっと、取り込んでいかないといけないのだから。


■「大人」に関して
 メタ認知というか、俯瞰的な視点を持つことなのですが。ヒデに関するmember12氏のくだりには、「何で自分は、そういう視点をもてなかったんだろう?」という情けなさを感じました。

 何かにイラつく、何かに感情的になることは、ある種子供じみた部分でもある。それが正しいか正しくないかはおいて、そこで一緒に子供になって怒るのではなく、大人として「何で怒ってるの?」「怒らなくても良いんじゃないの?」をもっと考えなければいけなかった。そういう俯瞰的な視野は、自分に足りないなあ。


■メディアの選手の関係に関して

 http://www3.nikkansports.com/baseball/mlb/ichiro/2004/ichiro-rensai2.html
ボクはそういう(緊張感のある)環境というか、選手にも意識を持ってもらえたらうれしい。記者の人を育てるのは選手でもあると思うんで、そういう気持ちを持てるかどうか。

 上の掲示板リンク先に書いたように、そしてこちらのイチローのコメントにもあるように、両者は高め合う関係であることが理想です。現状、こういった考えをする選手も記者も大変少ないといわざるを得ない。または、日本から「大人」が少なくなった、ということでもある。

 誰かを批判するのは非常に簡単なのだけど、これはもう自分自身が変わっていくしかないだろう。選手が子供ならばこちらから上手く導けるように、少なくとも「今あなたは仕事をしている」という認識をきちんと持ってもらう。逆に大人の選手に対しては、つまらない質問はしない、と。人間、自分が大人として扱われなければ、大人にはなれないものだと思うので。イチローのように厳しく自己を律することができれば別ですが、そうでなければ周りがそう仕向けないといけない場面もある。メディアの責任は大きい。

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Jリーグの挑戦とNFLの軌跡―スポーツ文化の創造とブランド・マネジメント
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