いとうやまね『世界中から集めた サッカー誰かに話したいちょっといい話』

 子を持つ人、これから子を持つ予定の人、これから生まれてくる子供たちに責任を負う人、つまり全世界の人々にお勧め。


サッカー 世界中から集めた誰かに話したいちょっといい話(単行本) いとう やまね (著)
単行本: 237ページ
出版社: 東邦出版 (2008/12/5)

第一章 サッカーの揺りかご ヨーロッパ1
第二章 路地裏の友たち 中南米
第三章 少年たちの熱い風 アフリカ
第四章 遥かなり故郷 ヨーロッパ2
第五章 懐かしき我が家 アジア

 印象的なのは、このお話に出てくる元・子供たちは決して孤独ではないこと。

 チュニジアのモンデールは気難し屋のシーハおじさん相手にハラハラしながら、トルコのハシムは近所の家にボールを蹴り込んでこっぴどく叱られながら、ロシアのパベルは毎朝お父さんと一緒にボールを蹴りながら、スペインのホルヘはバルサファンに囲まれつつエスパニョールを懸命に応援しながら。あるいは日本の山路さんは、人工肛門をつけた腹をパーンと叩いてボールを蹴り、同い年くらいの仲間とビールで乾杯する。御歳はなんと77歳だそうだ。

 サッカーを通じて彼らは、人との接し方、距離の取り方、議論の仕方、「やりすぎない」ケンカの仕方、気難しいおじさんと付き合う方法、夢のあきらめ方、つまり人生に必要な大部分のことを学んだ。そこには、必ず周囲の助けがあった。同級生、上級生、下級生、両親、先生、クラブのコーチ、近所のおじさんおばさん……つまり「地域社会」だ。日本的な言い方に聞こえるが、彼らは明らかに「地域ぐるみ」で育てられた元・子供たちだ。

 こうした環境は、日本からどんどん失われている。

 日本における「子供への投資」は、ある意味で最もないがしろにされていると感じる。確かに家計から教育費という形での出費は多い。文部科学省の統計によると、幼稚園から高校3年生まですべて国公立だった場合の学習費は約571万円、すべて私立に通った場合の学習費は約1,678万円となっている。

 しかし一方で、子供の教育・しつけに責任を負う主体が希薄に感じる。両親は教師に、学校は家庭に責任を押し付け合い、間に挟まれた教師が双方の突き上げを食らって疲弊する。そんな話を身近に聞く。

 学校から家庭までの道、つまり地域社会はもはや安全でなくなった。生徒は防犯ブザーを手放せず、GPSつきケータイがよく売れる。「学校になぜケータイが必要なのか」と問われ、「安全確保のため」と答えざるを得ない現実。もちろん、公園には「安全のため」としてボール遊び禁止の立て札が誇らしげに飾られている。

 こうした中で子供たちが「幸せ」を得られているのだろうか。大人たちは「幸せ」の何たるかを示せているのだろうか。ちょっと想像が難しい。少なくとも、僕には自信がない。

 だからこそ、この本は読まれるべきだ。本書に出てくる元・子供たちの国々の大部分は、日本よりはるかにGDPが低い。所得水準も低い。安全でもないだろう。ボールなんて布をツギハギにしたボロだったり木の実だったり、素足でアスファルトを駆けずり回るのが日常だったり。それでも、彼らの顔に笑みは絶えない。幼年期を懐かしく、愛おしく、手のひらで大事に包み込むように語る。文末に飾られた彼らの写真が一様に笑顔なのは、カメラマンのリクエストに答えただけ、ではないだろう。

 彼らの笑顔を見ながら、あなたは少しだけ苦い思いを儼みしめるだろう。日本から、こうした光景が失われつつあることに思いをはせて。その苦味が、「この光景を日本にも」という思いにつながるのであれば、著者の念願は果たされたと言っても過言ではない。そう思う。

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