秋葉原通り魔事件は「社会のせい」か

 ちょっと色々なことがありすぎて、その間にこうした事件が起こってしまったので、ネット上に自分の意見を残しておこうかと。

 タイトルの件。そりゃ「社会のせい」だろう、と思う。ただそれは「世の中のほとんどの殺人事件がそうであるように」という程度のことではないのか、というのが率直な感想です。

 今後、さらに捜査が進み、彼自身が何らかの社会制度の欠陥によって明白な差別を受けていたり、ということがあれば答えは変わりますけれども。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&id=513586
> 東京・秋葉原の通り魔事件で、殺人未遂容疑で逮捕された派遣社員、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)とみられる人物が、事件の1週間以上前の先月30日と31日、自身が女性にもてず、友達が少ないことを話題とする携帯電話専用のネット掲示板で、論戦に過熱するあまり「みんな殺してしまいたい」などと、「ネット住民」に対する、無差別殺人を予感させる書き込みをしていたことがわかった。

> 31日には加藤容疑者のものとみられる書き込みをした人物が、上京の際、秋葉原に立ち寄ったとする記載があり、ネット上の匿名の論戦が、無差別殺人のきっかけになった可能性もあるとみて、警視庁万世橋署捜査本部は、掲示板サイトの運営会社に協力を求めるなど、事実関係の裏付け捜査を進めている。

 このやり取りの要約が正しいと仮定するなら、これなんて昔(といってもここ10年ぐらいか)からありふれたネット上のやり取りにすぎないと思う。こういう風にやり込められて「オレってモテないんだ、モテないのは社会が悪いんだ」と思うヤツなんて腐るほどいた。

 その腐るほどいた非モテの中で、しかしこうした無差別殺人に及ぶのはごく一部だと思うのですよ。実際ぼくも非モテで、それをネタにされて、そいつに殺意を抱いたことはありますが、実行してはいないわけで。

 だから彼が社会の犠牲者であるという論調は、「そうだろうね、でもそれならオレも犠牲者だろ」と思うし、「事件起こしたからって改めてそんなこと考えなくてもいいよね」って思う。

 再度書くけれど、この容疑者が何らかの社会の犠牲者であることは論を待たない。しかし、「この容疑者のような人物を生み出さない社会を作ろう」というのは、つまるところどんどん格差が拡大し貧富の差がそのまま生存権の差に繋がってる社会をよい方向に持っていこう、という話で、
 
 この容疑者に絡めなくても成り立つ話
 
 だと思うんですよね。この容疑者はキチガイでFAだと思ってるし、キチガイに刃物が一番強いのはいつの世も同じ。

 僕は差し当たり、こうした事件を利用して「アニメ」「秋葉原」「携帯サイト」などの規制に動く向きを警戒すべきだと思っておりまする。

 http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080609/1212966011
> まず、彼が若年者雇用の鬱屈の表現者であるならば、なぜ犠牲者は同じく若年者を狙ったのか。資本主義の祝祭都市で消費を享受しているから敵だと思ったのか。本来狙うべき敵はエスタブリッシュ層や経済エリートなどではないか。もちろん、通り魔なんてまったく肯定はしないが、もし仮にやるとしても、本当に最後の手段として暴力を使うとしても、被害を最小限にして効果を最大限にするべきで、本当にやるんだったら経団連を爆破とか国会に突入とかするべきなのだ。なぜしなかったのか。近づけないからである。

 そういうこったね。容疑者は何も代弁していないし、彼に「自分の気持ちを代弁された」と思ってる人が日本に何人いるのか、って話。もちろん彼は犠牲者なんだろうけど、彼が犠牲者ならオレだって犠牲者だ、と思います。