「死ね!」の件について

http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/080501/scr0805011001003-n1.htm
 29日のFC東京−大分戦の試合中に、大分のDF上本が西村主審から試合中に「黙れ」「死ね」などと暴言を吐かれたとされる問題で、同主審が完全否定していることが明らかになった。日本協会幹部によると、松崎康弘審判委員長がこの日朝、西村主審に電話などでヒアリング調査をしたところ、「言ってないです。別の言葉を聞き間違えた可能性もある」との説明を受けたという。

 大分側はこの日、「死ね」発言について、Jリーグに報告書を提出する意向であることを表明。試合を担当したマッチコミッショナーの報告書にも、選手が主審に『死ね』といわれたとする大分側の主張が含まれていることも分かった。

 また日本協会は大分側の正式な抗議を待たずに調査に乗り出した。田嶋幸三専務理事は「協会としても重く考えている。しっかり調べて対処したい」とのコメントを発表。Jリーグの鬼武健二チェアマンも「早急に対処しないといけない。早くやりますよ」。3日にJリーグ第10節を控えるため、日本協会、Jリーグは5月1日にも西村主審から事情聴取し、対応を検討する。

 もちろん、西村主審には事実確認の上、「事実であるとすれば」然るべき処分がくだされるべきでしょう。ありえないっすよね、こんなのは。「事実であるとすれば」個人的には資格停止などを含めた厳しい態度で臨むべきだと考えています。

 何の理由があろうともね。主審が選手に軽んじられていたり、罵声を浴びせられていたり、ジャッジに対してサポーターから逐一ブーイングが飛んでいたり「したとしても」、そんなことはハッキリいって仕事の範囲内といえること。選手に「死ね!」と言っていいわけでは全然ない。この件に関して「事実であるとすれば」西村主審をかばう余地はこれっぽっちもないでしょう。

 が、これがまったく彼個人の資質によるものなのかといえば、それもちょっと違う気がしています。いや、「別件で考えるべきだ」というのはその通りなんですが、それでも昨今の主審に関する不信感が遠因になって「いない」とは思えない。

 要は、主審の権威が地に落ちたことが、今回の事件の遠因の一つになっているのは間違いないだろう、ということです。
 「死ね!」という言葉は、「事実であるとすれば」フラストレーションの末に吐かれた言葉だと推測できます。西村主審は、何らかの理由で強い精神的負荷がかかる状況に置かれていた。主審が自制を失うほどの状況に置かれる理由というのは、それほど多くは考えられない。それは何かといえば、つまるところ「自分のジャッジがまったく信用されていない」というところではなかったかと。

 西村主審に関して言えば、技術的な問題点もさることながら、「コミュニケーションをとらない」人物だと認識しています。彼は、口より先にカードを出す傾向がある。選手にしてみれば、冷静に話そうとしても、近寄って話しかけただけでカードの対象とみなされる可能性がある。だから判定に文句はいえなくなり、しかし不信感は強まる。

 今回のケースに関して言えば、調査が入らなければなんともいえません。しかし西村主審が選手・監督との関係性に問題を抱えていたことは明らかであり、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E9%9B%84%E4%B8%80こちらにあるようにすでに何度も何度も、かなり大きなミスをやらかしている。今回のケースは選手・監督と主審の関係に問題があり、その問題を事実上放置したために生まれたといえなくもない。つまり「(総合的に)力量の足りない主審にJ1で笛を吹かせた」という意味では、機構側の問題といえなくない気がしています。

 これを機会に審判と選手の関係性、審判委員会のあり方、日本サッカーを進歩させるためのジャッジのあり方などの議論につながっていけばいいのかなーと思ってます。が、まあまずは冷静に議論すべきでしょう。

 上にしつこいぐらい書いたように、そもそもコレって事実かどうかすら分かりません。選手がさも正義のように扱われていますが、僕の知人の審判員は「選手の言葉遣いもひどいもんだ」と憤ってますからねえ。ラモスだって「死ね!」とはいわなくとも「ボケ!」とかいってましたよね、そういえば。死ねがダメでボケがオッケーな理由もないでしょう。まずは調査結果を待つべきかと。