実名だろうが匿名だろうが

 論理的な人間は論理的で、そうでない人間はそうでない。それだけのことだと思っていたが、まだまだそうした認識は一般的ではないのかも。

http://blogs.itmedia.co.jp/repedant/2008/01/sns-3614.html
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20080114/p1

 上記2つのURLは、実名優位論が取りも直さず「気のせい」であることを示す格好の例になると思う。
 僕は、大迫氏の発言を完全に支持する。実名で書き続けることのリスクもゲインも、計り知れないほど大きいだろう。しかし、仮に大迫氏が匿名でこのことを書いたとしても、自分は氏のスタンスを支持するだろう。同様に、もしこのPJ記者が同様の記事を匿名で書いたとしたら、あるいは僕も匿名で「プギャー」とするかもしれない(笑)。大迫氏の言う「実名における倫理的配慮」や「プレッシャー」といったものは、誰しも持つものではない、ということだ。

 個人的なスタンスは、冒頭に述べたとおり。あとはHNというものをどう評価するかだが、継続的に使用されているHNに関しては、WEB上にアーカイブが蓄積され参照可能になる。よって単なる匿名ではない。しかしもちろん実名でもない。強いて言えば「半匿名」ということなのだろう。

 WEB上では、この「半匿名」というのが一番居心地が良いように思う。半匿名にせよ、実名同様にフィルターに掛けられる。つまらない発言ばかりするHNは自然淘汰されるが、一方で良質の発言を繰り返すHNは重宝され、アクセス数を伸ばしていく。しかし、ここで完全に勝負がつくわけではない。つまらない発言をするHNには、何度でも出直しのチャンスがある。HNを捨て、新しいHNにし、その間に知見を磨くことでポジティブ・アクセスを稼ぐチャンスが「何度でも」あるのだ。これが実名にはない半匿名のメリットだろう。実名でヘタをこくとリカバリーが利かない場合があるが、半匿名である限りリトライは可能。これこそ、誰かが言っていた「再チャレンジ制度」ではないかと思う。

 ところで、WEBが完全実名化したとしたらどうするか。自分の場合、まあ今よりは発言に気をつけるだろうが、ブログを書くことは止めないだろう。大迫氏の意見にあるとおり、実名で書くことによって、リアルと紐づけられるあらゆる不利益や煩雑さを被る代わりに、あらゆる利益も得ることができる。趣味について知り合いから「吸引」できるということもそうだろうし、記事の内容によっては思ってもみないオファーを受ける可能性だってある。単純に記事の依頼かもしれない(自分もオファーを出したことがある)し、組織内で新しい仕事を任されるということかもしれない。現状、自分にとってブログを書くことは、明らかにメリットのほうが大きい。その状況が続く限りは、自分はブログを止めないだろう。一時的に休止することはあっても。

 関係ないが、また2ちゃんねるにさらされてる(笑)。今度はサンフレスレか。Perfume効果恐るべし。